生命保険と遺言

 生命保険と遺言
  
弁護士 阿部貴之 2007年5月8日

 今回は、生命保険を題材にします。自分の財産を生命保険金という形で残したい場合、保険会社に特に相談せずとも遺言書に書き残しておけば何の問題もないといえるのでしょうか。以下、順を追って考えてみたいと思います。



1 死亡を保険事故とする生命保険契約の構造の簡単な説明

 生命保険と遺言を考える前に、生命保険契約とはどんなものか、イメージが持てるよう簡単に説明してみたいと思います。

 よく見られる生命保険契約は、契約をした人が保険契約者と被保険者を兼ね、保険会社が保険者となって保険事故が起きた場合に保険契約者の指定する保険金受取人へ生命保険金を支払うという内容になっています。

 それぞれがどういう立場に立つのかという点を分かり易く言うと次のようになります。保険契約者は、保険契約の一方当事者であり、保険者に保険料を支払う立場に立ちます。被保険者は、その人が死んでしまった場合(これを保険事故と言います。)、保険契約者の指定していた保険金受取人が保険者に生命保険金を請求できるようになる、いわば、保険金請求のきっかけを作ることとなる立場に立ちます。保険者は、保険金受取人に保険金を支払うことになる契約のもう一方の当事者という立場に立ちます。

 
 保険事故が発生する前の保険金請求権も現実に発生したわけではないものの、期待権的な権利、または保険事故発生を停止条件とする権利といえそうです。権利であれば相続の対象になるように思えますが、この点については、商法・各保険会社の約款に特則が置かれており、民法の相続に関する法律は適用されません。

 これに対して、ひとたび保険事故が発生すると、保険金受取人の保険金請求権は確定的な権利へと転換します(商法675条2項)。ひとたび発生した保険金請求権は、通常の金銭債権と同じように自由に処分できます。この保険金請求権は、指定された保険金受取人が自己固有の権利として取得(原始取得)します。この点については、保険金請求権が保険契約の効力発生と同時に受取人の固有財産になり、被保険者兼保険契約者の遺産より離脱するとした判例があります(最高裁昭40.2.2)。つまり、保険契約者や被保険者の相続財産にはなりません。具体的に言いますと、ある生命保険の加入者が死んでも、その人の相続人は、生命保険金の受取人に指定されていなければ、一切保険金を受け取れないということになります。



2 保険契約者による保険金受取人の指定変更権について

 保険契約者が保険金受取人を指定した場合、受取人を変更する変更権を留保していない限り、保険金受取人は指定された人に確定します(商法675条1項本文)。

 例外として、契約の約款で指定変更権の留保(同項但書)がされている場合は保険金受取人は確定しません。保険金の受取人を現在とは別の人に変更できます。

 また、もう一つの例外として、保険金受取人が先に死亡した場合で死亡した保険金受取人が被保険者でない第三者である場合、保険契約者には、なお保険金受取人の指定変更権があることとなります(同法676条1項)。



3 遺言による保険金受取人の指定変更の可否

保険金受取人の指定変更は、保険契約者の一方的意思表示で効力を生じる単独行為と解されています。なぜなら、商法677条が保険者に対する通知を指定変更の対抗要件としていることは、指定変更は保険者に対する通知を待つまでもなく効力を生じることを前提としていると解されるからです。

 そして、この意思表示の相手方としては、保険者以外に、新または旧の保険金受取人に対する意思表示によることも認められるとするのが判例・通説の立場です。

 では、指定変更の意思表示は必ず誰かに対して行われなければならないのでしょうか。一般原則からは、意思表示が効力を生じるにはその意思表示が相手方に到達する必要があります。そもそも、指定変更の意思表示は、相手方のあるものなのでしょうか、それとも相手方のないものなのでしょうか。相手方がないものであれば、指定変更の意思表示が保険会社へ到達していなくても効力が生じたといえるので問題になります。

 この点については、相手方のある意思表示であることを前提に、保険者に対する通知により変更権を行使する場合は通知の到達が必要であるとした古い判例があります(大判昭15.12.13)。しかし、相手方のない意思表示とするのが近時の多数説です。また、近時の下級審裁判例の大勢も指定変更の意思表示は相手方のない意思表示としています(東京高判平10.3.25、名古屋高判平13.7.18)。
 このような学説・裁判例の流れからすると指定変更の意思表示は誰かに対して行う必要はなく、遺言でもできそうです。

 ところが、更に、指定変更の意思表示を遺言ですること自体の可否が問題となります。指定変更が、その意思表示の到達を問題とせず効力を生じるとしても、遺言では指定変更の意思表示そのものができないとされてしまっては本末転倒だからです。

 指定変更が遺言自体の一部としてされたのであれば、その意思表示は保険契約者兼被保険者の死亡時にされたということになります。そうすると、理論的には、被保険者が死亡した時点で保険金受取人はすでに確定してしまっており、指定変更が問題となることはないと解されるようにも思えます。

 しかし、この点については、@遺言と並行して(遺言の場を借りて)変更の意思表示がなされたとする考え方、A遺言による指定変更の可否はそれ自体の可否から論ずべきとして、保険金受取人の変更の実質を遺贈に準ずる財産処分行為、財産権の一種と考え、指定変更自体を遺言事項そのものとする考え方など、指定変更の意思表示を遺言ですることを認めようとする様々な学説があります。
 また、前記東京高判平10.3.25は「保険契約者が遺言によってその変更権を行使したときも、その意思表示自体は生前に行われているのであり、死亡までにその権利を行ったものと解すべきである。遺言の性質上、その効力は遺言者の死亡によって生ずることになる・・・。」と判示しています。

 このような学説・裁判例の流れからすると指定変更の意思表示を遺言ですることは認められそうですが、遺言書にはどのようなことを書くべきでしょうか。
 前記東京高判10.3.25の事案は、秘密証書遺言の中で明示的に保険金受取人を変更した事案でした。このことからすると、明示的に当該生命保険契約を特定した上で、その保険金受取人を誰々に変更する旨の記載を遺言書に残せば、遺言による保険金受取人の指定変更が認められそうです。
 ただ、本当に保険金受取人指定変更がなされたといえるかどうかの判断は難しい問題が多く含まれていますし、個別の事案によって判断が分かれるところです。詳しくは法律の専門家に相談してください。



4 遺贈や相続形式による生命保険金受取人変更の可否

 保険金受取人が生存しているにもかかわらず保険契約者が保険金請求権を保険金受取人以外の者へ遺贈したという事例において、判例は従来から、保険金受取人の指定がある以上、保険金請求権は保険契約者の相続財産に属さず、これを遺贈するということは認められないとしてきました。これらの判例が、遺贈しようとする財産に保険金受取人の指定変更権は含まれないと判断しているか否かは不明です。仮にそこまで判例の射程が及んでいるのであれば、遺贈という形式では生命保険金の受取人を変更できそうもありません。

 この点については、前述したAの学説(保険金受取人の変更の実質を遺贈に準ずる財産処分行為、財産権の一種と考え、指定変更自体を遺言事項そのものとする解釈)の考え方を前提として、遺贈の表示がなされていてもこれを遺言による保険金受取人指定変更の意思表示と解することができるとする有力な見解もあります。

 しかし、遺贈による保険金受取人の変更を明示的に認めなかった裁判例として、全財産を遺贈する旨の遺言は保険金受取人の変更の意思表示とは解されないとするもの(大阪地判昭56.6.26)、被相続人(保険契約者)が受取人として指定された相続人以外の第三者に保険金請求権を遺贈する旨の遺言をしても、それだけでは受取人の変更としての効力を生じるものではないとするもの(東京高判昭60.9.26)等があります。また、正面からこれを認めた裁判例は特に見当たりません。

 理論構成も難しく、これを認めると、生命保険金を相続財産に含めるのと同様の扱いになってしまい、生命保険金が遺産から離脱するとした前記最高裁昭40.2.2に抵触しますので、遺贈や相続形式による生命保険金受取人の変更は認められないと考えるべきでしょう。
 


5 保険者への対抗要件の具備

 遺言による保険金受取人の指定変更が認められた場合、次に保険者に対する指定変更の通知が必要です。この通知をするべき人は保険契約者、つまり死亡された方だったわけですが、死亡してしまっている以上もはや通知はできません。一般原則からすると、通知をすべき地位を承継した相続人の方々がこれを行うことになるものと解されます。なお、対抗要件としての通知は、被保険者死亡前にされる必要があるとする見解もありますが、死亡後でもよいとするのが判例多数説です。

 通知がされない間に保険事故が発生した場合、保険者は旧保険金受取人に保険金を支払ってしまえば、もはや保険金支払い義務を免れる結果となってしまいます(商法677条)。この場合、自分こそ保険金の受取人であると考えておられる方は、保険金を受け取ってしまった方に不当利得返還請求をすることとなります。
 

 以上のように、生命保険金の受取人の指定変更には複雑な問題が絡んできます。また、保険会社へ保険金受取人変更の手続を行ったものの有効な変更と認められなかった事例も散見されます。保険契約者生命保険金を残される方は、保険会社と協議するだけでなく、法律の専門家へも相談するようにして下さい。
                                                                
以 上
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