最近、マルチメディアという言葉を耳にしなくなりましたが、マルチメディアはその後どうなったのでしょうか?



           弁護士 永島賢也 2001年2月19日


 確かに、最近、マルチメディアという言葉はあまり使われなくなったようです。

 1990年代、デジタル技術の発展はめざましかったためか、一般に「アナログは古くさく、デジタルは新しい」、というような印象があったりしますが、実は、わが国に古くからある「そろばん」は、デジタルといえます。そろばんの玉が、上にあるか、下にあるか、という区別だけで数字が表現されています。

 ところで、デジタル技術の進歩によって、文字、音声、静止画、動画などの様々な表現形態を0か1か(オンかオフか、NかSか、右回りか左回りか)などのように2種類の信号に還元して統一的に表現することが可能になりました。
 このことをマルチメディアと呼ぶことが多かったと思います。

 現実の世界は、水素から順番に(水平リーベ僕の船…)いろいろな元素から成り立っているといわれています。

 これに対し、デジタルの世界はたった2種類の元素からのみ成り立っている世界といえます。

 つまり、それがどのような存在であろうと、それが2種類の「やり方」で表現できるという性質をもった瞬間、デジタルの世界において果てしない自由を獲得できます。
 
 しかし、何でも自由であるということが、逆に無秩序を生み出してしまい、もともとあった自由さえも奪ってしまうというのでは本末転倒です。自由であるためにはルールが必要です。たとえば、著作権法もそのようなルールを作っているといえます。たとえ、それがデジタル世界(サイバースペース!とかっこよく表現されたりします)であっても同じことです。
 
 著作権法に関していえば、このマルチメディアに関する著作物について、立法で特別な手当てをする必要があるのか、それとも、今までの著作権法で対応が可能なのかということが明確に判断できなかったため、マルチメディアが大きくピックアップされたのかもしれません。

 しかし、デジタル技術を使った著作物も複製という法律概念で把握することが可能であることがだんだん明確になってくると、ことさらにマルチメディアを取り上げる必要がなくなったものと思われます。こうしてマルチメディアに関する取り上げ方がトーンダウンしていったのではないかと思います。

 デジタルの世界は、現実の世界の一部であって、その外側に存在する世界ではない、ということだと思います。

 最近のデジタル技術に関する移り変わりは殊に激しいですが、法律としてはなるべく変わらないものを前提に解釈しあるいは制定されていった方がよいと思われます。

 では、この分野で、変わらないものとはなんでしょうか?

 思うに、現在のデジタル技術は、ほぼ例外なく「ノイマン型コンピュータ(von Neumann type computer)」を前提としています。そこで、このことを中心にして法解釈論を組み立ててゆけばよいのではないか、と考えます。

 ノイマン型は、データとプログラムの両方を主記憶装置に保存しこれを順番に読み出して処理しています(ストアドプログラム方式)。

 つまり、主記憶装置には、処理の対象のデータと、処理手続を指示する命令(プログラム)とが記憶され、一見区別はつかないのですが、主記憶装置には順にアドレスが付されていまして、プログラムが最初に実行すべき命令の格納アドレスを指示することによりその区別がつくようになります。

 ノイマン型の特徴としては、逐次制御といって、一時に一命令しか実行できない点にあります。

 定義的に述べれば、ノイマン型とは、制御装置、演算装置、主記憶装置、入力装置、出力装置の5大要素から構成され、ストアドプログラム方式、逐次制御方式を採用したコンピュータといえます。

 現在のコンピュータは主記憶装置が非常に大きくなったため、実際には、大きく処理装置と記憶装置とを分けて表現されたりします。その場合、処理装置(制御装置、演算装置)、主記憶装置、入力装置、出力装置と4つになります。

 以上の概念を現実のコンピュータに当てはめると、処理装置=CPU、主記憶装置=メモリ、入力装置=キーボード・マウス、出力装置=ディスプレイ・プリンター、といえます。

 ポイントは、補助記憶装置はノイマン型の5大装置に含まれていないことです。

 補助記憶装置とはフロッピーディスクとかハードディスクとかCD―ROMとかMOとか非常に多くの種類があります。これらの技術の発展はすべて補助記憶装置の多様化ということでひとくくりにして考えることができます。

 たとえば、現在、著作権審議会で論議されている「一時的蓄積」の議論にしても、複製の範囲を主記憶装置への格納を含めるかという問題だととらえることができます

< 著作権審議会(検索のページ)

 上述のように、ノイマン型コンピュータは主記憶装置からデータとプログラムを逐次読み出して処理するという構造をもっていますので、主記憶装置への格納(一時的蓄積)を法的な「複製」ととらえれば、マルチメディアのケースと同じように現行著作権法を大きく変更することなく対応できるかもしれません。
 
 しかも、ネットワーク化という問題に対しても特に区別することなく同様の態度で臨むことができるのではないかと思います(もっとも個人的には演算装置内のレジスタへの格納を法的な「複製」ととらえるのはちょっと無理かなとは思っています)。

 ただ、現行著作権法は、公衆送信権(自動公衆送信権・送信可能化権)(著作権23条)を定めていますので、諸外国と歩調をあわせるべく主記憶装置への格納をも複製だととらえたとすると、そのことと、公衆送信権との整合性についても検討しなければなりません。もしかするとこれは難問かも知れません。









               











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