証明責任

 証明責任
  
弁護士 古手川 隆訓 2006年12月20日

1 証明責任(立証責任)とは、裁判で主要事実の真偽が不明な場合に、その事実を要件とする法律効果が認められない一方当事者の不利益ないし危険のことをいいます。

主要事実(直接事実)とは、権利の発生、変更、消滅という法律効果を判断する際に直接必要な事実のことです。

裁判所は、原告の訴えが訴訟要件を具備している場合、法令を適用して本案判決を言い渡す義務を負っています。

しかし、法令を適用するためには、主要事実の存否を確定することが不可欠です。

したがって、本来は、主要事実があるかないか分からないという場合には、その事実を要件とする法律効果の発生の有無について判断することが出来ないということになってしまいますが、これでは裁判所は本案判決を言い渡すことが出来ません。

そこで、証明責任が機能するわけです。すなわち、主要事実の真偽が不明な場合には、その事実は無いものと擬制され、その事実を要件とする法律効果が発生しなくなってしまうのです。

このように、証明責任を負う当事者は、主要事実を立証しなければ、自己に有利な法律効果の発生が認められず、敗訴してしまうため、原告と被告のどちらが証明責任を負うかという問題は、訴訟を遂行する当事者にとって非常に重要なテーマとなるわけです。



2 では、証明責任の分配基準はどのようになっているのでしょうか。

原則として、当事者は、自己に有利な法律効果の発生を定める法令の要件事実について証明責任を負います。

例えば、売買契約に基づき、売り主が買い主に対して代金の支払いを求める場合には、売り主が民法555条の主要事実である売買契約が成立したという事実を立証する必要があるわけです。

この事実が立証出来ない場合には、売買契約は成立していないものとして扱われ、当然、売買契約に基づく代金支払請求権も発生しないという結論になるのです。

なお、この場面で多くの方が誤解されていますが、売買契約書が無くても、売買契約は有効に成立します。

民法555条は、契約書を用いることを売買契約成立の要件としていないからです。

売買契約は単に財産権を移転するという約束と、代金を支払うという約束のみで成立しているのです。

売買契約書は、裁判において、売買契約が存在しているという事実の立証を容易にする機能を有しているに過ぎません。

では、売買契約は成立しているが、詐欺により取り消されていたり、消滅時効が成立しているような場合には、誰がこれらの事実について証明責任を負うのでしょうか。

既に述べたように、当事者は、自己に有利な法律効果の発生を定める法令の要件事実について証明責任を負うという考え方からすると、売買契約締結に基づく代金支払請求権の発生という法律効果を消滅させることができる詐欺取消(民法96条)や消滅時効(民法166条以下)の主要事実について、買い主が証明責任を負うということになります。



3 この証明責任の分配に関して、最近、興味深い判例が出ました。

事案は、車両が海中に水没した事故につき、被保険者が保険会社に対して、保険契約に基づき車両保険金及びこれに対する遅延損害金の支払を求めたというものです。

商法第629条には、「損害保険契約ハ当事者ノ一方カ偶然ナル一定ノ事故ニ因リテ生スルコトアルヘキ損害ヲ填補スルコトヲ約シ相手方カ之ニ其報酬ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」と規定されています。

また、同法第641条には、「保険ノ目的ノ性質若シクハ瑕疵、其自然ノ消耗又ハ保険契約者若クハ被保険者ノ悪意若クハ重大ナル過失ニ因リテ生シタル損害ハ保険者之ヲ填補スル責ニ任セス」と規定されています。

また、この判例の当事者の保険契約に適用される保険約款第5章第1条には、「当会社は、衝突、接触、墜落、転覆、物の飛来、物の落下、火災、爆発、盗難、台風、こう水、高潮その他偶然な事故によって保険証券記載の自動車(以下「被保険自動車」といいます。)に生じた損害に対して、この車両条項および一般条項に従い、被保険自動車の所有者(以下この章において、「被保険者」といいます。)に保険金を支払います。」と規定されていました。

この「偶然な事故」であるということの証明責任が、保険会社にあるのか被保険者にあるのかということが争点となっていました。

この点、高裁は、被保険者が事故が偶然のものであることを主張、立証すべきであるとして、被保険者に事故が偶然であることの証明責任を負わせました。

ところが、最高裁は、「車両の水没が保険事故に該当するとして本件条項に基づいて車両保険金の支払を請求する者は、事故の発生が被保険者の意思に基づかないものであることについて主張、立証すべき責任を負わないというべきである。」との判断を示したのです。

すなわち、偶然な事故であることについての証明責任を被保険者に負担させず、保険会社に事故が被保険者の故意若しくは重大な過失に基づくものであることについての証明責任を負わせたのです。

この結果、保険会社が、事故が被保険者の故意若しくは重大な過失に基づくものであることについての証明に失敗した場合、そのような事実は無かったことになり、被保険者に保険金支払請求権が発生することになります。                                                               
以 上
Copyright © 2006 Takanori Kotegawa, all rights reserved.